« 函館の各国在外公館 | メイン | 開港初期の箱館 »
2005年10月02日
初代領事ゴシケーヴィチ着任
1858年(安政5)9月30日、初代領事ゴシケーヴィチは軍艦ジキット号に乗り、家族と書記、海軍士官、医師夫妻、宣教師、そのほか下男下女合せて15人で箱館に着任した。
実行寺を仮宿舎とし、同行の館員の一部は高龍寺を宿舎とした。
1860年(安政7)用務を終えて江戸から陸路帰還する領事一行は奥州街道を通行し、三戸駅本陣に宿泊しました。スケッチでは、ゴシケーヴィチは当時64歳とありますが、実際は40代半ばでした。(清水恵「<史料紹介>安政七年のロシア領事奥州街道通行に関する三つの史料」『地域史研究はこだて』19号より)
ロシア(ソ連)領事・領事館の主な変遷
| 西暦 | 和暦 | 領事 | 出来事 |
| 1858.9 | 安政5 | ゴシケーヴィチI.A.(領事) | 日本で最初のロシア領事ゴシケーヴィチが着任し、実行寺を仮領事館とした。境内にロシア正教の礼拝堂も建てられた。同行の館員の一部は高龍寺を宿舎とした。 |
| 1859 | 安政6 | 〃 | 現ハリストス正教会付近の2000坪を領事館用地として借用、領事館建設に着工。 |
| 1860 | 万延元 | 〃 | 春、領事館竣工、領事が移転。 |
| 1864 | 文久3 | 〃 | ゴシケーヴィチ領事の夫人、エリザヴェータ死亡。 |
| 1865 | 元治2 | 〃 | 領事館が火事で焼失。 |
| 1865.9 | 慶応元 | ビュッオフE.K.(領事) | |
| 1869 | 明治2 | タラヘンテベルグ(領事代理) | |
| 1870.3 | 明治3 | オラロフスキーA.E.(領事) | |
| 1872 | 明治5 | 〃 | 東京に公使館が置かれる。 |
| 1873 | 明治6 | 〃 | オラロフスキー領事は横浜に赴任。以降、函館の領事館はしばらく領事不在、横浜の管轄下に置かれる。 |
| 1877 | 明治10 | エリニツキーG.(臨時副領事) | 瀬棚で起こったアレウト号事件の事務的処理に当たるため、翌年春まで臨時領事として滞在。 |
| 1879 | 明治12 | 領事館事務所(大工町民家)が大火で焼失。時に閉鎖もあったが、市内の民家を借りて執務。 | |
| 1881.5 | 明治14 | バロン・シリベンバック(副領事) | 一時的に来函。 |
| 1887.4 | 明治20 | ド・ウォラン(副領事) | 6月トムソン邸に着任するが、籍は函館に置いたまま、帰省中の長崎駐在領事の代理に赴き、明治25年まで函館不在が続いた。 |
| 1893.2 | 明治26 | ウスチーノフM.(副領事) | 夏期に開館し、冬期間は東京の公使館へ引き揚げた。不在中は書記官の笠原与七郎に事務を託す。 |
| 1900 | 明治33 | ゲデンシュトロム(副領事) | 露領漁業の勃興に伴い函館港の重要性が増し、本格的な領事館の必要性が認識され、臨時的に事務所を開設していた領事館も、本格的な施設を建築する運びとなった。 |
| 1902 | 明治35 | 〃 | 西出氏所有地船見町125番地(「旧ロシア領事館」所在地)を領事館用地として買い上げる(当時、外国人名義で所有できなかったため、999年の長期貸与という形式で、便宜上日本人 名義で契約。これが原因で後年敷地に関して裁判沙汰になった。)。 |
| 1903.7 | 明治36 | 〃 | 領事館の建設が着工される。 |
| 1904 ~ 1905 | 明治37~38 | 日露戦争中領事引揚げ | 日露戦争の勃発で工事は一時中断。 |
| 1906.5 | 明治39 | トラウトショリド(副領事) | 領事館再開(領事館が完成するまでの間、船見町108番地で業務をおこなった)。領事館の工事も再開。 |
| 同年.12 | 同上 | 〃 | 領事館が竣工。 |
| 1907 | 明治40 | 〃 | 函館大火で被災し、わずか8ヶ月にして領事館は焼失。即座に、再建が開始。 |
| 1908.12 | 明治41 | 〃 | 領事館完成(現「旧ロシア領事館」)。 |
| 1912 | 大正元 | レベデフ(副領事・後に領事) | |
| 1917 ~ 1924 | 大正6~10 | 〃 | ロシア革命が勃発するが、実態は東京のロシア大使の命で、依然ロシア帝国の国旗を掲げて執務。 |
| 1925 | 大正14 | 日ソ基本条約が結ばれ、両国の国交が回復。ソ連函館領事館となる。 | |
| 同年 | 同上 | ロギノフ(領事) | 当初は査証委員長の名目で着任、その後、東京のソ連大使館の開庁に伴い、5月25日から正式に領事業務が開始された。領事館建物は補修を要したため、元キング邸(「堤倶楽部」と称された)で開館。 |
| 1927 | 昭和2 | 領事館の修理完了、移転。 | |
| 1928.7 | 昭和3 | キセリョフD.D.(領事) | |
| 1930.4 | 昭和5 | チホノフG.D.(領事) | |
| 1932.11 | 昭和7 | アイゼンスタート(事務代理) | |
| 同年.12 | 同上 | カラシI.(領事) | |
| 1936.4 | 昭和11 | イートキンA.G.(領事) | |
| 1937.12.23 | 昭和12 | 〃 | 領事館の敷地問題で一時閉鎖。領事、本国へ引揚げ。 |
| 1938.4 | 昭和13 | パウリチェフG.I.(副領事) | |
| 1939 | 昭和14 | 〃 | 領事館用地をめぐり日本軍部による工作があり、結局、日魯漁業(株)が土地を買い上げてロシア領事館に貸与する。 |
| 1940.4 | 昭和15 | ザヴェーリエフA.I.(領事) | |
| 1944.10.1 | 昭和19 | 領事館閉鎖 | |
| 1952 | 昭和27 | 外務省の所管となる。同年8月19日、道庁から渡島支庁に管理を委嘱。 | |
| 1964.6 | 昭和39 | 領事館建物を外務省から函館市が購入。 | |
| 1965 | 昭和40 | 一部増改築し「函館市立道南青年の家」として使用。 | |
| 1981.6 | 昭和56 | 函館市は「道南青年の家用地」(旧領事館用地)を日魯漁業(株)から取得(市有地と交換)。 | |
| 1996 | 平成8 | 「函館市立道南青年の家」廃止。 | |
| 1997 | 平成9 | 日ロ政府間で口上書により在札幌ロシア連邦総領事館函館事務所開設について正式に合意。 | |
| 2001 | 平成13 | 在札幌ロシア連邦総領事館の領事管轄区域が、青森県・岩手県までエリアを拡大。 | |
| 2002 | 平成14 | ロシア連邦政府により函館事務所開設が決定。 | |
| 2003 | 平成15 | 在札幌ロシア連邦総領事館サプリン総領事が函館市長宛て文書を持参、函館市に対して、 事務所開設に向け実務的問題に対する協力依頼があった。 | |
| 同年.6 | 同上 | 函館市国際交流プラザの一画を事務所として函館市が賃貸することとし、改修工事を行う。 | |
| 同年.9 | 同上 | ウソフA.G.(副領事) | 9月19日に事務所開設オープニングセレモニーを行う。同日、ウソフ副領事が所長に就任。井上市長が査証(ビザ)申請第一号となる。 |
『函館市史』など、市史編さん室作成資料を基に作成。
投稿者 hakodate_russia : 2005年10月02日 11:47