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2005年10月02日
開港初期の箱館
当時箱館には、ロシアのほかにも、アメリカ、イギリス、フランスからも領事が着任しており、また各国の商人も在留していたため、箱館はまさに国際都市であった。
~ロシア人の目から見た開港初期の箱館~
ロシア領事館付となったナジモフ海軍大尉やアルブレヒト海軍医師は、箱館港の特徴、施設、気候、箱館の行政、町並み、風俗・習慣などをサンクト・ペテルブルグで出版されていた雑誌「海軍集録」に送った。
アルブレヒトは、医師の目から、1年のうち4カ月間は泥んこの海となりヨーロッパの編上靴では歩行不可能となる街路、あらゆる汚物が投げ込まれたどぶから上がる悪臭、「この町が伝染病の災難から免れているのは、無数のからす(日本の唯一の医療警察)と空気のよどみを吹き飛ばす絶え間のない風のおかげである」などと指摘しているが、彼らが本国に送った情報は、今日、開港当初の箱館の状況を知る上で興味深い。(秋月俊幸「<研究ノート>ロシア人の見た開港初期の函館」『地域史研究はこだて』3号より)
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外国人が見た開港当時の箱館 市立函館図書館所蔵
9月28日から30日にかけて行われた祭りの様子です。フランスの雑誌『イリュストラツィオン』1857年6月20日号に掲載された1855年9月30日付の箱館からの通信です。
(『イリュストラツィオン』日本関係記事集第1巻より)
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フランスの施療院 実行寺
傷病兵の手当ては、実行寺がその施設にあてられました。『イリュストラツィオン』紙では、称名寺と書かれています。
投稿者 hakodate_russia : 2005年10月02日 17:51