2005年10月02日
最初の領事館の竣工、焼失
1861年(万延元)上汐見町(元町ハリストス正教会付近)の2000坪を領事館用地として借用、翌年春に竣工し、領事が移転したが、1865年(慶応元)、隣接のイギリス領事館から出火、ロシア領事館もほぼ全焼した。
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港内より函館山を望む-にハリストス正教会の葱坊主が見えます。その下はカトリック教会です。
文久元年正月、上大工町(現元町)の利さ領事館の東側にロシア病院が竣工しました。
谷澤尚一「幕末・箱館ロシア病院に関する史料」 『地域史研究はこだて』2号より
~北の地の「文明開化」の推進役~
ゴシケーヴィチ一行には、ロシア領事館付の海軍医師アルブレヒトが同行していた。1863年(文久3)夏、領事館に隣接した土地1200坪にロシア病院が完成した。ロシア病院では、ロシア人ばかりでなく函館市民に対しても無料で治療に当たったほか、日本の医師たちも西洋医学を習っていた。西洋医学に触発され、日本医師による病院が設立されることになり、これが市立函館病院の創設につながった。
また、ゴシケーヴィチ領事は写真機を持ってきていたが、田本研造が技術を習得し、写真を撮るようになったのが函館の職業写真師の始まりであるなど、ロシア領事館は、北の地の「文明開化」の推進役ともなった。(『函館市史』より)
投稿者 hakodate_russia : 2005年10月02日 18:00