2005年09月30日

青森公立大学でのロシア語数育

A.A.トルストグーゾフ

 私は、青森公立大学の開校時からロシア語を教えている。父は、軍医で両親ともロシア人である。父の職業柄、転勤が多く、私はウクライナで生まれた。極東のワニノ港で勤務しウラジオストークへ移ったことから、私は極東国立大学に入学し5年間学んだ。その後、ウラジオストーク・モスクワの科学アカデミーに入り、生涯の半分を極東で生活することになった。
 本日は、日本の生徒の性格と日本の教育について私自身の意見を述べたい。地元の外国人の意見も参考になるかもしれませんね。青森公立大学の学生のロシア語のレベルには満足しているとは言えない。英語の教員も同じ意見をもっている。いかに効率的に教育させることができるか皆様と懇談したい。
 日本の学生の能力が低下していると言われているが、ある新聞の記事で大学の学長さんたちが「その原因のひとつに、文部省のゆとり教育がマイナスとなった。また、受験料目を減らしたことが、一般教養・思考能力の低下につながった。」と言っている。しかるに、ゆとり教育の見直しや受験料目を増やしたら、ロシア語教育には役立たないと思う。英語学習は6年間だが、ロシア語教育はゼロからのスタートなのである。
 日本の教育は量的なものだけを考 えている。例えば、「学力」という言葉の意味は日本では「知識の水準・学識・博学」だが、ロシアでは「勉学するための方法・能力、知識のレベル」である。ロシアの小咄に「入学生と卒業生の違いはと問われ、卒業生は知識を持っているのではなく、データを探す場所を知っている。」というのがある。
 日本の学生の教育に対する努力が足りないと思うのは、学生の勉学への動機・目的が無いからである。青森公立大学の学生に、将来の仕事はと問うと「女優、国家公務員、等々になりたい」と返事が返ってくるが、「マーケッティングの専門家、証券のディーラー」という回答はない。何のために、経営・経済学部に入ったのだろう。
 日本は学歴主義。日本人は自己紹介するとき、○○○会社の○○○地位であると言うが、ロシアでは、○○○専門だから○○○の地位にいると言う。青森公立大学は語学選択制を採っており、英語から逃げた学生がロシア語を選択している傾向がある。また、卒業するためにたくさん単位を取得するが、興味ある科目でなく、比較的楽に単位がとれる科目を選択しているようだ。ロシアでは、まず早くに将来の仕事を決めて科目を選択する。
 日本の教育はお金をたくさん使っている。例えば、青森市の予算はウラジオストークの20倍で、公立大学の図書館には最新の情報が集まっており、パソコンのソフトは山のように、ビデオもたくさんあるが、学生は活用しているとは思われない。私はこのような経費はもったいないと思う。日本は豊かだから、学生は経済のことを余り話題にしない。
 アルバイトについて、日本では学んだ知識と関係ない内容のアルバイトをするが、ロシアでは学んだ知識を生かしたバイトをする。私個人の経験ですが、大学2年時、千島列島の日ソ共同漁業協定区域で検査員の通訳として、サケ・マスの量、網の種類・サイズなどについて、日本人の漁師に聞き取りするのだが、彼らの日本語は全然分からなく、検査員は日本語はゼロなので、だれも助けてくれないから、辞書をポケットに入れ、地獄のようであった。このように、3ヶ月のバイトのおかげで、ある者はモスクワの国立インツーリストに就職したり、漁業公団に勤める者もいた。アルバイトでも全責任を負わされた。
 私の長女は、三年前に来日し現在、高校三年生だが、「日本の学校教育は暗記中心だ」と言っている。ロシア人は間違えてもいいから、考えを伝えようと話をする。日本人は黙っているし選択された話題については話すが、テーマがないと表現はへたなようだ。
 日本人の学生はとても子供っぽい。ここにいるイワン君はネクタイを着用しているが、ロシアの学生では一般的である。規則などはないが、大人としての責任を自覚している。また、こちらの学生は生活の中で、政治・経済に関心がないので、科目の消化は難しい。
 私の造語で「師匠主義」というものがある。日本では、先生の教えに生徒は従順だが、ロシアでは先生と生徒はいっしょに勉強し先生はアドバイスをし、お互い議論をする。それは発言力を育てることになる。講義をしていても、反応がないので理解しているかどうか分からない。動機づけのない勉学では問題解決能力は育たない。また、先生が教えたこと以外には、もっと詳しく勉強しようとはしない。
 ロシアでは、学校に行かなくても試験を受ければ卒業できる。11年生で自分の好みに合う学校を選択できることから、学校間の競争がある。物理専門・化学専門高校があり、自分で特徴ある学校を選ぶことができる。ロシアの学生はそれぞれの専門学校の特徴を見極め、それぞれの優秀者が大学に合格する。学校のランキングの指標も違う。日本は大学の進学率・有名校への進学を基準とするが、ロシアでは専門校を選択することから、ランキングは存在しない。
 日本では、芸能・運動などの大会はあるが、ロシアのように、物理学・化学・地理学・語学などの大会はない。
 日本では最近、教育改革が叫ばれているが、就職制度・入学制度ばかりでなく社会システムを変えない限り、改革は進まないと思う。


後列中央がトルストグーゾフ氏

「会報」No.15 2000.6.15

投稿者 hakodate_russia : 21:39 | コメント (0)

シベリアと本格的交流を! ―北海道の未来のために―

石原誠

 「赤坂憲雄『東北学へ』(作品社)を読んで感動した。北海道学アイヌモシリ学と考えてもすっきりしない。まして東北学なんて…と思っていたが柳田国男の東北の部分を完璧に批判し見えてきた東北学。…この度の提唱は困難な時代でも、努力と新しい発想で切り抜けられる希望をわたしに与え、又衝撃を受けた」。
 以上は一昨年11月7日付け『図書新聞』より拙文の引用。そして昨年4月には赤坂さんの勤める東北芸術工科大学(山形)の中に東北文化研究センターを設立。『この東北こそ、日本に残された最後の自然―母なる大地―。現代文明の過ちを克服し人間の尊厳を取り戻す戦いの砦』と設立宣言の一部で高らかに述べている。
 大学が全面協力、山形市・山形県も行政側として総力をあげて一肌脱ぐ。また、民間で支える年会費1万円の東北文化友の会も発足10ケ月で900名を越えたという。そして同センター発行(作品社発売2000円)の300頁を越える、『東北学へ』もすばらしい内容で願調に既に2号まで出している。
 北の隣り、サハリン・クリル研究会の『郷土研究紀要』は1990年創刊以来年4回発行を持続。旧ソ連が崩壊し大変な時代の中で立派だ。わが北海道は『北海道地方史研究』に続く『北海道史研究』が40号で終刊してから12年経つが、今後共北海道史の総合誌発行の予定さえなく反省したい。
 昨年『サハリンの歴史』(ヴィソーコフ編)の日本語訳が板橋政樹さん訳により北海道撮影社から刊行。7年前筆者は「今度はサハリン住民の手でステファンを越えるサハリン史を期待したい」(『彷書月刊』l993.12「ステファン著『サハリン』を読む」)と書いたが、その2年後のサハリン住民の労作をこの程ロシア語から全訳した意義ははかりしれず板橋さんに感謝だ。
 月刊『地理』1999.7はカムチャッカを特集。コリャーク語専攻の北大文学部大学院の若い永山ゆかりさんは1994年から3年同地で教鞭をとったらしく、今後共どんどん環オホーツク方面へ住みつく北海道人が増えたらと思う。
 秋月俊幸さんは『日露関係とサハリン島』(1994筑摩書房)、『日本北辺の探検と地図の歴史』(1999北海道大学図書刊行会)の2作を続けて発表。左近毅さんは『シベリアの流刑制度』全2冊(ケナン著1996法政大学出版会)を英語から全訳して発表。早くて年内に同じくケナンの『シベリアのテント生活』全訳も出る予定という。両氏共にすぐれた仕事と思う。
 毎日、サッポロの郊外ツキサップのわずかに残された自然の中を通り仕事場に向かう。何本かの白樺…。ほとんど書物と、わずかな映像でしか見たことのないシベリア。その広大なシベリアの自然を空想する…。人も自然の一部。いつの頃からかわたしの心は日本でなくシベリアヘ。
 北海道は環オホーツクの南に位置。いつの日か北海道とシベリアがダイナミックに連繋する日を夢見る。この地は10年程前までは市町村の中では釧路叢書を出し続けた釧路市がリードしていたと思う。その後低迷している北海道の中で、函館の活躍が目立っていると思う。博物館・図書館・文学館・北方民族資料館・北方歴史資料館・市史編さん室・当研究会…。青函連絡船廃止以降の経済崩壊という情況だからこそ文化的努力をされていると思う。日露(北海道シベリア)交流史、北海道史、サハリン・千島・カムチャッカ・沿海州・東シベリア・旧満州の先住民族史と移住史…。また各民族接触等どれも魅力的な題材かと思う。
 かつて函館人は開拓使のあった札幌方面を奥地と下に見た。あれから130年…。ただ人口と経済力だけでかなり問題のある“札幌”を反省させるためにも今度は別の視点で函館発の全道規模の文化を展開させて欲しいと願う。幸い当研究会会員名簿をながめると、各分野の人々が見事に揃っている。当会の今後に、今まで以上に心から期待したい。

「会報」No.15 2000.6.15

投稿者 hakodate_russia : 21:36 | コメント (0)